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親が死ぬということ9 最期の日を覚悟

12月の始め親父から電話がかかってきた。

「年末は子供たちを預からない」

実家に帰った時には、一箇所で家族5人集まって寝れる場所がないので、母宅父宅嫁宅に家族バラバラになって泊まっている。それが受け入れないとなると、なんかすごく悪い方向に行っているのではないかと直感したため、その後の出張で父宅に向かうことにした。その時は土曜日の昼から会議が入ったため、午前中の飛行機で東京に戻らないといけない。

時間があるのは金曜日の夕方、仕事を早々に片付けて父宅に向かいたかったのだが、そういう時に限ってなかなか仕事が片付かない。イライライしても仕方ないので、淡々と冷静に仕事をこなして終わらせた。時計を見ると6時半をまわっている。交通機関を利用して移動しても7時半くらいには顔を出せそうだ。あの日は、冬の冷たい雨が降っていた。

ひとまずホテルに荷物を置きに帰り、傘をさすということが嫌いなので、コートのポケットに折りたたみ傘を忍ばせてホテルを飛び出した。その日は父が無事であることを確認したくて、心のなか非常に焦っていた。父の家にたどり着くと祖母しかいない。離婚後父は父の母、私の祖母と住んでいた。どこか遊びにでも行っているのかと思ったが、祖母の口から思いもよらない言葉が。

「入院している」

やはりあの言葉はそういうことだったのか。一昨日辺りから入院しているということだったので、あの電話があってから後に入院したようだ。あの時点である程度自分の先のことが分かっていたのだろう。

祖母が淡々と経緯を話していった。そして

「おふくろ、先に逝って悪いな」

父が祖母にそういったと話した瞬間、祖母の目から涙が溢れて落ちた。私も涙が溢れそうになったが、ぐっとこらて・・・言葉すら出なかった。親より先に逝くこと、こんなに辛い、辛さは分からないが、子供がいるのでそれに少し被せて考えると辛い。

かなり気分重たく病院に向かった。仕事が終わるのが遅かったため面会時間終了ぎりぎりの時間となっていた。重たい足を引きずりながら病院に向かった。祖母から聞いていた病室に向かうと父はいない。なぜ?と思いながら、父の名前を探して同じ階をぐるりとまわった。あった。少し心が軽くなった気分だった。外から見ると電気が消えて中は静かだ。

トントントンとドアを叩いて中に入る。そこには父が寝ていた。「俺だよ」と声をかけると驚いた感じでこっちを見ている。「どうした?」と父が言う。いやいや、どうしたはこっちのセリフやねん。この前正月に孫は預けられないという電話が気になって・・・から会話が始まる。

そりゃそうでしょう、なにか覚悟した感じじゃないの。もうあかんのかと思ってきたんだよ。話を聞くと3日くらい前に非常に体調が悪くなり緊急入院したという。そして医者の話では年を越せるかどうかということだった。父は喉のあたりに違和感を感じているので、話しづらい感じだった。そんなに無理して話をしても疲れるし、面会時間も終了しているので後ろ髪を惹かれながら病室を後にした。

この日はそもそも父の家で弟と落ち合う予定にしていた。もちろんあんな電話をもらったので、こっちとしても覚悟して今後の話をするつもりだった。弟が車で迎えに来た。さてどこに飯を食いに行こうか。資さんうどん、と弟がいう。いやいや、俺が金出すんだからちったいつも行けんところにいこうよ。じゃクルクル寿司に行こうといってかっぱ寿司に向かった。

くるくる寿司で話をする内容でもないんだが、父の病状について尋ねた。元々が癌が肝臓から始まっている。癌細胞が上に上がっていきリンパまできているため、喉あたりに違和感が出てしゃべりにくいという症状がでている。そういう話を聞いてとてもじゃないが一人では耐え切れない思いになった。

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