親が死ぬということ6 父の想い出

あまり大きな声で言える話ではないのだが、現代で言う幼児虐待に近い状態で幼い頃を過ごしてきた。親は放任主義ということで、ほとんどほったらかしの状態で育てられたのだ。両親共にギャンブルが好きで、パチンコ、麻雀にハマり、おそらく借金もたくさんあったと思う。小さい頃の記憶をたどると、パチンコ、麻雀、競艇、競輪など、そういった光景しか思い出せないのである。その中唯一競馬場に連れて行かれた記憶だけがないのだ。そういう訳でもないのだが、私は競馬にハマった。

父のいいところはなんでも自分でやるところだった。家を借りた時ボロボロの家だったが、玄関の改装、風呂がなかったので小さな庭に風呂を建てたりした。私はそこまでできないが、自分で出来る範囲は自分でやるということを父の背中から学び、自分でやれることを考える性格となっていた。

それよりも一番大きな影響は、親を反面教師として見ていたことだ。小さい頃から自分なりに親を解析していたのだろう。こういったことは大きくなったら絶対にやらないということがたくさんある。周りからは小さい頃かわいそうだったと言われることがあるが、私としては非常に感謝している。

そういった環境の中で育ってきたので、早い段階で人生冷めた目でしか見れなくなったのは悪い成長だが、精神的な自立が早かったのだと思う。自分の子供と比べても、その時の自分は非常に冷めているし、人生行き詰っていたのだと感じる。私の子どもは私に比べて人間の臭いがしていいと思う。友達や知り合いから私の事を「悪魔」だとか「緑の血が流れている」なんて言われる意味が分かってくる。

あと思い出としては夏によく海水浴に連れて行ってくれた。私自身海が好きではないのであまり行きたくはなかったのだが、親が連れて行ってくれるということがすごく嬉しかったのだと思う。海水浴といっても、海水浴場ではなく人がいない海岸線と言ったほうがいいかも知れない場所である。家を出てすぐのところに小さな商店があり、父はそこでリポビタンDとジョージアのロング缶を買って車に乗り込んでいた。

当時の車だが低グレードの車だったのでエアコンがついていない。そのため夏場はいつも窓全開だ。はじめて車を買った時、エアコンが標準装備でついており、ディーラーの方に「エアコンて普通についているんですね」と聞いてしまった。海水浴場でないためシャワーなどない。水をもっていってザバーンと頭からかけられてそのまま車に乗り込み家に帰ったものである。そういうこともあってか、未だに海の家を借りたりするのが苦手だ。

その他家訓というか父の名言がある。

なんでもいいから一等賞になれ。

なんでもというのが非常に曲者で、とにかくなんでもいいのだと。一番になる決意を持って何事にも取り組めということだと理解している。なんでもテッペンを取る覚悟でやっているが、未だに一等賞をとったことがない。

おみくじの大吉はダメだ

大吉というのは一番いいおみくじではあるが、父としては大吉を出すと後は落ちていくしかないのでダメだという屁理屈だ。そのせいか、大吉よりも吉とか凶を好んでしまう私なのである。今年のおみくじは半凶だったので、今年は昇っていくしかない一年となるのだ。

ボーリングの10フレ目は3回投げろ

要は最大3回投げれるのに2回しか投げれないのは損だろという屁理屈である。受けれるサービスは最大限受けなさいということだと理解している。そもそもある時点から超貧乏になったので、そういう生活の知恵が出てきたのだろう。