親が死ぬということ13 正月を迎えられた
大晦日
父は離婚後祖母と二人で暮らしている。元々の予定は嫁の実家に嫁が元旦まで泊まる予定だったが、父が入院したことで祖母が一人となるため、嫁が気を利かせて祖母の家に泊まることになった。すごく気持ち的に悪い思いで一杯出だったが、ここはその思いに甘えることにした。逆の立場だったら私はどういうことができるだろうか?
この日病院に行くと少し辛そうな父がそこにいた。あまり話すのも辛そうだったので、「また来るわ」と一言残して祖母の元へ戻った。
その帰り嫁が「お父さん痛いやろな」と言った。俺は癌になったことないし、そんなの痛いかどうかわからんと答えた。そもそも相手の痛みもわからずに可哀想だと簡単には言いたくないのである。自分が経験した痛みであれば、ある程度だが気持ちを分かることができる。自分でも割り切り過ぎだと思うが、そうでもしないと世の中の不幸をすべて背負ってしまい自分が潰れそうになる。そして「お父さん、弱気になっているね」と言った。元々「いつ死んでもいい」と言っていた父だが死というものが見えてきて弱気になってきたと感じるようになった。はやり人間は死というものを恐れる動物なのだろうか?未だに自分はいつ死んでもいいと思っている。
元旦
弟が父から子供たちにおもちゃ等を買うようにとお金を渡されいた。そこで朝から小倉の街に出かけていった。まずは初詣に行く事にした。小倉で初詣といえば八坂神社である。去年は帰省しなかったので一言主神社に行った。その前の年は帰省していたので、八坂神社へ初詣に来た。今年は例年よりも多くの人たちが参拝にきていた。参拝は無我夢中で、何をお願いしたのか記憶にない。それ程神様にお願いしたいことがあったのだろう。子供たちがお参りしているところを写真に収めた写真を家に帰ってみると、次男坊が真剣な顔でお参りしている。何をお願いしたのか聞きたいところだったが、あの顔を見ると何をお願いしたのか伝わってるので聞くことはしなかった。
買い物から帰って父のもとにお見舞いにいった。今日は意外と話することができた。弟がお守りを買っていった。私も買おうかと思ったが、ここまで来て神頼みというのは何だか虫がいい感じがして買うことが出来なかった。そういう弟を見てまだまだ素直に人生進んでいるのだと感じた。いかに自分の守る範囲が狭くなっているものだと反省した。
祖母のことだが、弟が今住んでいるところを引き払って一緒に住むと言ってくれている。非常にありがたいことなんだが、弟はまだ結婚していなくこれを機に更に婚期が遠のくのではないかと心配している。本人に結婚する意思があるかは聞いたことないが、初詣の際に縁結びのお守りを買っていたので本人にはその気があるのだろう。
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