親が死ぬということ3 検査結果と死

検査の結果が出たと思われるタイミングの出張で父宅に行き話をした。話を聞くとこのまま治療をしなければ余命3ヶ月、治療をすれば延命は出来るということだった。私の父は変な人間なので、死ぬのが分かれば延命などせずに死を選ぶと思った。しかし、延命の方を選択した。理由を聞くと「孫のことが気になる」そういうことだった。私もそれが正しい選択だと思った。

親はいつか自分より先に死ぬ

そういうことは言葉では分かっていたし、親が死ぬのは親の勝手なことだと思っていた。ここまで育ててくれたことに感謝し、後は最低限人間としての生活が出来るように支援してあげればいいと思っていた。そういう考えを私は勝手に思っていただけなのかもしれない。

よくよく考えると、じゃ私の子どもはどうなんだ?私は親から卒業したと思っている。卒業したといっても中学卒業くらいか?まだまだ子育てが残っているので、まだ学ぶことがあるのかも知れない。子ども、父から見ると孫、子どもはまだまだジイちゃんを必要にしていると感じている。ジイちゃんとこ行きたいと、休みのたんびに言っている。私としてもまだまだ父は生き続けると思っていたので、転勤となった昨年は一度も家族で帰省することがなかった。私は出張でちょこちょこと顔を見ているという自己満足もあったのかもしれない。

必要としている人が目の前からいなくなった瞬間、必要としている人のことが大きければ大きいほどその絶望感はそれに比例、いや自乗で大きくなる。この絶望感こそ、上手くコントロールできれば飛躍的に人間として大きく成長できるはずだ。子供たちに人間の「死」ということを目の前で感じるいい機会だと思う。少々早すぎる死だと思うのだが・・・