親が死ぬということ25 葬儀と火葬
★☆★ 葬儀と火葬 ★☆★
葬儀が始まる前に生前の父の写真のスライドショーがあった。昨日通夜でも流れたものだ。弟が父と孫(私の子供)のショットをよく撮っていた。枚数は多くないもののこれだけあるのは感心した。一番のショットは次男坊が生まれた時の写真だ。父が次男坊を抱き暖かい眼差しで見つめている。その左右に長男と長女がいる。父は孫達に囲まれて幸せだったという一枚になっていた。生前はなんでもない写真だったが、こういう時に見るとなんとも言えない感情に襲われてくるものだ。そして写真は見る時その人の感情によって見え方が変わってくるものだと、写真を撮影することの奥深さを知った。
最後に遺品や花を入れていく。その中に軟式ボールが入っていた。見たことのあるボールだ。父が無くなる前の日曜日。次男坊が野球がやりたいと言うのだ。腰が痛くてツライけれども、最近外で遊べていないので行く事にした。次男坊と公園に出かけようとした時、長男が珍しくキャッチボールがしたいので一緒に行くというのだ。ほんとに珍しいことだ。前回の記憶では小学2,3年生の時だったので、7年振りくらいだ。そのキャッチボールをした時に使ったボールと同じ物が棺桶の中に入っている。偶然というかなんというか、あの日長男とキャッチボールをしたのではなく最後に父がキャッチボールをしたくて誘ったのかもしれないなと思った。
葬儀は淡々と進んでいった。棺桶の蓋を閉じて最後に花束を置く。弟と二人で置いた。これまで口にして言えなかった「ありがとう」。そして心のなかでは「孫にとっては一番の爺ちゃんだったよ。最後に一等賞・・・おめでとう。」
葬儀も終わり、次は最後の最後、斎場に向かう。途中スピードダウンする箇所があった。あとで弟に「なんでスピード落としたと思う」と聞かれた。「うーん、わかんね。」パチンコ屋の前でスピードを落としたという。父はパチンコ好きだったもんな。ただ孫が生まれてからは、孫のためにお金を使いたいといって、パチンコに行くのを控えていると父から聞いていた。あっちに行っても孫達が行くまで楽しくパチンコを楽しんでください。
何と言ったらいいのかわからないが、火葬の終わりがなかなかやって来ない。あとから来たところにも追い抜かれている気がする。残り時間20分位からが中々先に進まない。ここでも終了までの時間がNo.1だったかもしれない。病気になってから小さくなったと言えども、それなりに身がついていたのだろう。
火葬が終わり骨が出てくる。次男坊が「じいちゃん小さいね」という。確かに小さい。人間の最後の最後はこんな感じなんだと改めて思った。斎場の人が「立派な骨だ」と言っていた。かなりの確率て骨が形として残っていた。骨壷に収められていく。こんな小さなツボの中が最後なのかと思った。葬儀場に戻る時は、骨壷を私が持ってバスに乗り込んだ。来る時も持って来たのだが、帰りはすごく重たい。骨自体は軽いはずなのに、これほども重さがあるのかと思い、死んでもここに命の重さを感じていた。